あなたは〇〇するべきだ!
といった感じで、その人が考える「あるべき姿」を一方的に押し付けてくる人っていますよね?
いわゆる「べき論」と呼ばれるやつです。
- たとえ夫婦共働きでも、家事は妻がやるべきだ
- 女性なら絶対に子供は生むべきだ
- 男は外に出て家族のために働くべきだ
- 子供は子供らしく外で遊ぶべきだ
先日、友人と談笑していたら、最近、旦那さんの「べき論」がウザいと愚痴をこぼしていましたが、私もその気持ちはよくわかります。
個人レベルの理想論や一方的な要求を根拠に「~すべきだ!」と言われても、「はあ?なんで私が?」と疑問に思ってしまうだけで、何の説得力もありませんからね。
ということで、今回は「べき論」について掘り下げてみたいと思います。
もし周囲に「べき論」を振りかざすような人がいたら、その対処法も含めて参考にしてみてください。
べき論とは?
べき論とは、「~するべきだ」という一方的な主張のことで、主張を裏付ける根拠に具体性がなく、個人的な理想や願望、要求に過ぎない場合がほとんどだったりします。
相手に対して何かを求める際に、「~するべきだ」と主張すれば、たとえ個人的な要求であっても、あたかもそれを世間が求めているような印象を与えることができますからね。
しかし、よく考えてみると具体的な根拠に乏しく、ただ単に本人が相手に対して「そうしてほしい」だけだったりするわけです。
決して「~するべき」という言葉がすべて「べき論」に該当するのではなく、相手に対する要求の仕方に問題があるという認識です。
ネットでよく使われる「べき論」については、↑のサイトの説明が参考になります。
とくに誰もが言いたい放題のSNSでは、独り善がりのべき論が展開されるケースもわりと多いのではないでしょうか?
個人的な理想や願望、要求などを「〇〇は~するべきである」と一方的に主張する人も世の中には結構いますからね。
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べき論が疲れる理由
「~するべき」という言葉に、どこか圧のようなものを感じる人も多いのではないでしょうか?
一方的に「~するべき」だと断言されてしまうと、現状の自分を否定されているような気分になることもあるでしょう。
「~するべき」という強い言葉は、相手にとって選択の余地を奪ってしまうんですよね…。
場合によっては、選択の余地どころか自由を奪うことにもなります。
自由を奪うというのは、相手の可能性を狭めることでもあるわけです。
べき論が疲れるのは、選択する自由が制限されることにあるのではないでしょうか?
一方的な要求の押し付けによって、人の自由を奪う権利なんて誰にもありませんからね。
とはいえ、べき論を振りかざす人というのは、自分の中でそれが正しいと信じて疑わなかったりするのでタチが悪いという…。
正義の味方は怖いし苦手!正義感が強すぎる人は人間関係に苦しむ
べき論については、↑こちらの記事にもどこか通じるものがありますよね?
たとえ正しいことを主張していたとしても、相手の心情を一切無視した一方的で高圧的な要求は、人を遠ざけてしまうものです。
先ほど触れた私の友人の旦那さんも、べき論を振りかざして家庭内で孤立しないように気をつけてほしいと思います。
べき論を振りかざす人の心理
べき論を振りかざす人の心理についてかんたんにまとめると、こんな感じです↓
- 自分の主義・主張が正しいことを認めさせたい
- 相手を思い通りに動かしたい
- 自分の理想を共有したい
↑はいずれも個人的な願望に過ぎません。
しかし、そんな個人的な願望も「~するべきだ」と主張することによって、まるでそれが世間の声のように聞こえるから不思議なものです。
個人的な願望を実現するために「べき論」を振りかざして、他人を巻き込むのって本当にタチが悪いですよね?
相手の話に耳を傾けることなく、いきなり自分の「べき論」を展開する人には気をつけましょう。
素直に「~してほしい」と言えばいい
相手に何かを要求する際に「~してほしい」ではなく、「~するべきだ」と主張すれば、個人的な要求でも言葉の強みによって、道徳的にそうしなければいけないといった印象を与えることはできるかも知れません。
しかし、こういったいわゆる「べき論」は嫌われる傾向にあります。
もっともらしく「~するべき」と主張するよりも、素直に「~してほしい」と言った方が伝わりやすい場合も多いのではないでしょうか?
とはいえ、「~するべき」よりも「~してほしい」の方が言葉は柔らかく、相手にとっても断りやすいため、自分の要求を押し通すのは難しくなるんですけどね。
本当に相手のことを考えているのであれば、あえて選択の余地を与えて「~してほしい」と頼むのが自然だと思います。
とくに女性は、こういった細かい言い回しには敏感です。
べき論は反論せずに対処する?
最後にべき論への対処法として、切り返し方について触れておきましょう。
もし、身近にいる人から「あなたは~するべきだ!」と謎のべき論を一方的に主張されたら、試してみてください。
「~するべき」と言われたら、以下の手順で会話してみると良いでしょう。
- それって「~してほしい」ってことだよね?
- 本気で私に~してほしいと思っているなら、協力できるよね?
- 具体的にどんなことができるか3つあげてみて?
- 今、自分で言ったことが守れなかったらどうする?
まずは、「~するべきだ」という主張が、単に「~してほしい」に過ぎないことを見極める必要があります。
「それって私に~してほしいってことだよね?」と問いかけるのは、YESを引き出すためです。
ここで相手がYESと答えたら、次は、本気でしてほしいなら協力を惜しむのはおかしいと主張することで、自分に協力することに合意させます。
「協力するよ」と相手に言わせたら、その場で「じゃあ、具体的に何ができるか3つ挙げてみてよ。」と切り出して、条件を提示しましょう。
この時点で、相手の要求1つに対してこちらは3つの条件を提示できます。
そして、「今、自分で言ったことが守れなかったらどうする?」と切り出して、さらに3つの条件が守れなかった時のペナルティを自ら提案させればOKです。
自分で発した言葉を覆すのは、なかなか難しいですからね。
自らこちらの条件にコミットしているというわけです。
こちらの条件は、すべて相手側が考えて発言したものなので、こちらは相手に対して何も押し付けていません。
このやり取りによって、べき論を振りかざしてきた相手側は1つの要求に対して、
- 協力すること
- 3つの条件
- 有言実行できなかった時のペナルティ
↑の条件を飲まざるを得ない状況に立たされるというわけです。
一方的に要求はするけど、相手には一切協力しないなんて虫が良すぎる話ですからね。
もし会話の途中で協力はできないと言われたら、その時点でこちらが相手の要求に従う必要性もなくなります。
べき論については、イラっとする気持ちもわかりますが、感情的に反論するよりも相手の「~してほしい」という要求を逆手にとって、こちらも条件を提示することで協力体制を築いていく方が建設的ではないでしょうか?