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期待しない方法だけでは不十分?他人にガッカリしない生き方

他人に期待しないで生きる方法

人に期待したり、期待されたりすることって誰でも生きていれば普通にありますよね?

「期待してるからがんばって!」

「オマエには期待してるからな!」

「みんな期待して待ってるよ!」

誰かが自分に期待してくれるということは、それだけ周囲の人に信頼されているわけなんですけど、結果次第では相手をガッカリさせてしまうこともあります。

「期待してたのに・・・」

「えっ!マジかよ~。期待しちゃったよ!」

「期待した私がバカだった」

なんて気持ちを相手に抱かせてしまうと、何だかこっちも申し訳なく思ってしまいますよね?

よくよく考えてみると、自分は一生懸命がんばったんだし、故意に相手をガッカリさせたわけでもないのに、どういうわけか信頼を失っているような気持ちにもなります。

もしかしたら「期待してたのに・・・」という言葉の後ろ「・・・」の部分には(裏切られた)という感情が省略されているのかもしれません。

人を裏切れば信用を失うのは当然ですが、相手の期待を裏切る結果となった場合においては、故意に裏切ったわけではありません。

しかし、多くの人は無意識に「期待してたのに(裏切られた)」と認識してしまうわけです。

これは潜在意識というか、脳の認知の問題もあるので難しいんですけどね。

とくに他人にガッカリしやすい人は、期待しやすい傾向が強い場合も多いので注意が必要です。

そもそも「最初から他人に期待なんてしなければ、ガッカリすることもない」なんて言われることもありますが、実はそれだけでは不十分だったりします。

他人に期待を抱きやすい人は「期待しない方法」よりも期待を可能な限りコントロールすることで、相手との間により良好な人間関係を構築できた方が良いですよね?

期待に応えられないと評価は下がる

評価が下がる

いわゆる「できる人」と周囲に認識されている人ほど期待されやすいわけですが、基本的に人は結果が期待を下回ればガッカリします。

期待を大きく下回れば下回るほど、それだけ相手を失望させるということです。

また結果はそこそこでも、相手の期待が大きければ大きいほど「結果的には良しとするけど、まだまだこんなもんじゃないでしょ?」といった感じで、満足度は低くなります。

スポーツ観戦などで自分が応援しているチームや選手が負けた時に酷く落胆するのも、結果に対して期待が大きいからなんですね。

結果が期待を下回った時、人は無意識に「(期待してたのに)裏切られた」と感じてガッカリするわけです。

ひとつ例を出してみましょうか。

たとえば、2018年のワールドカップでは惜しくも決勝トーナメント進出を果たせず帰国した韓国代表チームに生タマゴが投げつけられるなんて事件が起こりました。

この事件の背景にも「大きな期待」と「期待を下回る結果」が関係しています。

サポーターの期待が大きすぎたのか、結果が期待を大きく下回ったのか、いずれにしても選手たちはベストを尽くしたのにこのような事件が起きてしまいました。

故意に期待を裏切ったわけでもないのに、相手をガッカリさせてしまうというのは本当に厄介ですよね?

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「期待×大きさ×結果」の公式

期待を下回った時、人は無意識に裏切られたと認識してガッカリするのなら、逆に結果が期待を上回った場合は感動してくれるのではないかと思いますよね?

しかし、余程の偉業を成し遂げない限り相手の評価は「期待通り」で終わる可能性が高いです。

結果が相手の期待を多少上回っただけでは弱いんですね。

相手を感動させるレベルに持っていきたいのであれば、期待を大きく上回るような結果を出す必要があるということです。

または、相手がまったく期待していなかったところで不意をついて想定外な結果を出すことですね。

もちろん相手の期待が小さければ、ちょっとそれを上回る結果を出すことで喜んではくれるでしょうけど、やはり感動までは至らないと思います。

期待を下回ればガッカリさせて、期待を少し上回っただけでは「期待通り」って厳しい世の中ですよね?

まあ、それでも相手の期待に応えることができれば、さらに信頼関係は強くなるので決して損ではないと思いますけどね。

雑だけど簡単にまとめるとこんなパターンかな↓

  • 期待が小さい×悪い結果=仕方がない
  • 期待が小さい×良い結果=いいね!
  • 期待が大きい×悪い結果=裏切られた
  • 期待が大きい×良い結果=期待通り
  • 期待していない×悪い結果=想定内
  • 期待していない×良い結果=すごい
  • まったく期待していない×偉業=感激
  • 超期待×偉業=感動

思わず他人に期待してしまう人も、期待されやすい人も↑のパターンを覚えておくと良いでしょう。

誰かに期待したり、されたりした時、どのパターンに当てはまるかを考えて動くかが重要です。

期待に応えられる自信がある場合のみ相手の要求を受けるようにすれば無駄に信用を失うことも少なくなるでしょう。

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期待されるとプレッシャーやストレスを感じて逃げたくなる理由

プレッシャー・ストレスから逃げたい

そもそも他人に期待を抱く時点で、ほとんどの人は勝手に良い結果(理想)を想定しているものです。

よく「潜在意識は現実とイメージを識別できない」なんて言われたりしますが、期待を抱いた時点で無意識に「理想の結果」を追い求めているんですよね。

だから、望んだ結果が得られないとガッカリ、望み通りの場合は期待通り(自分の勘は正しかったという自己正当化)という評価を下す傾向が強いのではないでしょうか?

期待される側にとっては、相手の都合で勝手な理想を押し付けられている状況に過ぎないわけで、これって単なる面倒な話なんですよね。

もちろん人に期待されるってことはそれだけ信頼されているんでしょうけど、勝手に自分の実力以上の結果を求められてもプレッシャーでしかありません。

相手の期待に一つ応えると、次はもっとハードルが上がる可能性も考えられますし、そうやってどんどんプレッシャーがストレスになっていくんですよね・・・

周囲の期待に応え続けることがストレスになって病んでいく人って、いわゆる「できる人」に多いような気がします。

たまに会社の上司で「オマエも期待されて嬉しいだろ?」みたいなことを上から目線で言う人もいたりしますが、先ほども触れたようにそもそも期待は不確定なものです。

また、自分にできないこと、やりたくないことを都合よく他人に押し付ける口実として「期待してるよ」なんて言葉を利用する人間もいたりするので、気をつけましょう!

ここでひとつ「期待」に関する私の小話を。

 

私が小学生低学年だった頃、同じクラスの隣の席だった男の子、裕太(仮名)の話です。

 

運動会のクラス対抗リレーのアンカーを決める話し合いで、足の速かった裕太が選ばれました。

(なぜか子供の頃って足が速いだけでクラスの人気者になれたりしますよね?)

 

春の運動会でした。

 

運動会当日のクラス対抗リレーでは、私たちのクラスは良い感じで「このままいけば優勝?」といった勢い。

クラスのみんなも一致団結でがんばっていました。

 

そして、いよいよクライマックス!

バトンがアンカーの裕太に渡されラストスパート!

 

クラスのみんなが声をあげてエールを送ります。

このままいけば勝利するかと誰もが「期待」した瞬間でした。

 

まさかの転倒・・・

 

他のクラスの走者に次々と追い抜けれていく裕太。

結局、私たちのクラスは最下位という残念な結果に・・・。

 

みんなガッカリしてました。

中には裕太を責める子も・・・。

 

私は肘と膝を擦りむいて出血していた裕太を保健室に連れていきました。

 

裕太は私に「ごめん・・・」と謝るばかり。

私は「裕太は何も悪くないよ。しょうがない。」と応えることしかできません。

 

運動会が終わって教室に戻ると帰りの会で先生もそのことについて言いました。

 

「みんなガッカリしたと思うけど、一生懸命やった!がんばった!」

記憶は定かではないけど、そんなようなニュアンスの言葉を発したと思います。

 

もしかしたら「ガッカリした」とストレートには言ってなかったかもしれないけれど、それに似たような言葉がクラスのみんなを刺激したことは何となく覚えています。

 

クラスメイトに責められる裕太はただ俯いて「ごめん・・・」と謝ることしかできませんでした。

 

その光景を見ていてムカついた私は裕太に言いました。

「何、謝ってんの?あんた悪くないでしょ?バッカじゃないの!コイツらが勝手に期待して思い通りにならなかったからって騒いでるだけでしょ?」

 

本来なら怒りの矛先は裕太ではなくクラスメイトのはずなのに、どういうわけか裕太に対して強く言う私。

 

みんなのために一生懸命がんばっても、期待を大きく下回る結果になれば、人はガッカリするというのを子供心に実感した瞬間でした。

 

期待を抱く人が集団化することで、その反動もさらに倍増していくのって冷静に考えて怖くないですか?

 

秋の運動会のクラス対抗リレーでも当然、アンカーを決める話し合いがあったわけだけど裕太は「オレはもういいや。やりたくない。」と言ってました。

 

春の運動会の一件でみんなの期待が大きなプレッシャーになってしまったのかもしれません。

 

※実はこの話には続きがあります。(続きは記事の後半で)

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他人に期待しない方法

ネットの海に漂流している情報を拾ってみると「他人に期待しない方法」という内容で、過度な期待は人間関係を悪化させるリスクもあるのでほどほどにしようといったものが溢れています。

簡単に要約するとこんな感じ↓

  • 期待は相手にとって負担を強いる
  • 勝手に期待されるのは苦痛
  • 他人が自分の思い通り(期待通り)に行動するのは難しいから期待しても無駄
  • 最終的には自分で行動した方が良い
  • 他人に期待しなければ無駄に疲れなくて済む

たしかにその通りです。

いちいち人の目を気にして相手の期待に応えるために、自分にはできないことや自信のないことまで無理して引き受けてしまうことは、マイナスになる場合も多いですからね。

また、他人に期待しても確実に望み通りの結果が得られる保証なんてどこにもありません。

期待というのは不確定なものに掛ける行為なので、どこかギャンブルにも似ています。

うまく割り切れる人なら、期待を外した時も「仕方ない」と現状をそのまま受け入れることができると思いますが、世の中にはそうでない人も多いようです。

誰かに期待を抱くのであれば、まずは相手に実情(現状や実力)以上のものは求めないというのが重要です。

不確定なことを自分勝手に「この人ならきっとうまくいく」なんて妄想して、現実と妄想のギャップに一喜一憂するなら最初から他人には期待なんかせず、自分でやればガッカリすることもありません。

しかし、これだと何だか寂しく感じますよね?

期待される側は相手をコントロールするのが困難な立場にあるため実践はできませんが、期待する側の人間でしたら少し意識を変えることで相手との間により良好な信頼関係を築くことは可能です。

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相手にプレッシャーを与えずにがんばってもらう方法

応援する

最後に「期待しない方法」だけでは不十分なので、相手にプレッシャーを与えずに良い結果を出すためにがんばってもらう方法について書きます。

これは期待される側ではなく、思わず他人に期待してしまう人に取り入れて頂きたい方法です。

ひとつ気をつけてほしいのは、たとえ自分が望んだ結果が出なくても「仕方がない」と許すが前提条件ということ。

方法はシンプルです。

「期待してるよ」という言葉の「期待」を「応援」に置き換えてみてください。

言葉って不思議なもので「応援してるよ」だったら、相手に安心感を与えられると思いませんか?

もちろん口先だけの応援ではなくて、きちんと行動で示す必要がありますよ。

  • 期待=相手にとってプレッシャー
  • 応援=相手にとって安心感

私もこのブログを開設してから3ヶ月目でやっと慣れてきたばかりなのに「期待してます!」なんて言われたらちょっとプレッシャーを感じてしまいます(笑)

でも、「応援してます!」だったらプレッシャーよりも「こんな自分でも応援してくれる人がいるんだ」という安心感の方が大きいですからね。

先ほど記事中で取り上げたワールドカップや私が小学生だった頃のクラス対抗リレーの事例もそうなんですけど、もともとは応援から始まっているんですよね。

いつの間にか応援が期待に変わり、人を巻き込むことで期待だけが膨張していって、受け入れ難い結果を前に暴走するという悲劇。

他人に期待してしまうという人は、「期待してる」と自覚したらすぐに「応援」に切り替えるように意識するだけでも相手に余計なプレッシャーを与えずに済みますし、代わりに安心感を与えることで信頼関係も良好に保てるんじゃないかな?

今まで他人の期待に苦しんでいた人も「応援」だったら、「よし!がんばろう!」って気持ちになると思うんですよね。

もちろん、口先だけの応援じゃなくてサポートする気持ちは大事ですけどね。

まとめるとこんな感じです↓

  • 期待は相手に結果を求める行為=プレッシャー
  • 応援は相手に敬意を払う行為=安心
  • プレッシャー=外部からの圧力に苦しむ
  • 安心感=自発的にがんばりたいと思うきっかけにもなる
  • 期待は相手に「~しなければならない」という思考を植え付ける
  • 応援は相手に「~したい」という自発的な原動力を引き出す

では、最後に先ほども取り上げた私と裕太(仮名)のエピソードの続きをどうぞ!(笑)

さっきの話の続き。

 

年月は過ぎ、私は中学生になっていました。

小学校低学年だった頃の運動会の話なんてすっかり忘れていたある日のこと。

 

ちょっとした出来事で放課後、職員室に呼び出されて生活指導の先生にこっ酷く怒られた私は、教室に戻ると隣の席だった陸上部の男子が着替えている場面に遭遇しました。

 

「あ~、びっくりした!こんなとこで着替えてんじゃねーよ!」と言うと、彼は「ごめん・・・」と一言。

 

「別にいいけど」と荷物をまとめて帰ろうとする私を呼び止める彼。

「あのさ、アリサ!」

 

呼び止められて不機嫌になった私が「なに?どうした?」と振り返ると彼はこんな話をし出した。

 

「そういや、小学校の時も隣の席になったことあるよね?」

「運動会のリレーでオレが転んだ時、アリサが保健室に連れてってくれたの覚えてる?」

 

何となく曖昧な記憶はあったけど、会話が面倒なので適当に返す私。

「いきなり何を言い出すかと思ったら、そんなこと?」

 

彼はちょっと気まずそうに続ける。

「あの時、嬉しかったんだよね~。あっ、ごめん。今度、大会があるから思い出しただけだから。」

 

モジモジしている彼の様子を見て、何だか気まずい雰囲気だったので私は素っ気なく「あっそう。がんばってね!帰るわ。じゃあね!」とその場を後にしました。

 

心の中では裕太があの時走ることをやめなくて本当によかったと思ってたんですけどね。

 

過度な期待に応えられず、集団で責められたことで一度は「もう嫌だ!やりたくない!」と言い出したけれど好きなことは続けてほしい。

 

帰りの坂道でひとり私はつぶやきました。

「裕太、がんばれよ!」

 

後日、仲の良かった女子に聞いたら、裕太は私に応援に来てほしかったとか・・・

 

見事に裕太の期待を裏切ってしまった私でした。

 

おわり

 

※正直に言うと後半部分はほんの少しだけ脚色しています。(帰りの坂道でひとりつぶやいてないしw)

(前半の小学生時代は全部ノンフィクション)

本当は記事執筆にあたって裕太本人に取材したかったんだけどな・・・

↑のストーリーなんですが、裕太は「期待」私は「応援」という立場をそれぞれとっていることには気づきましたか?

相手との関係性にもよりますが、「期待」と「応援」はお互いすれ違うこともあるという参考事例です。

次回は相手の期待を利用して信頼を得る方法について書こうかなと思ってます。(※書きました↓)

相手の期待値を操作して信頼できる人を演出する方法 職場で信頼できる人を演出?相手の期待を利用する方法

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