「月に代わってお仕置きよ!」なんて懐かしいアニメのセリフがありますが、正義のヒーロー、ヒロインが悪に立ち向かっていく姿や、敵をやっつけるシーンを見て子供の頃、憧れた人も多いのではないでしょうか?
正義の名のもとに悪者を叩きのめすという構図は単純なもので、小さなお子様にもわかりやすいですからね。
正義を貫くために悪と戦う姿って、大人になってもどこかカッコいいイメージがありますよね?
しかし、現実的には月に代わってお仕置きする権限なんて誰にも与えられていません。
自分が信じる正義を振りかざし、自分の身勝手な価値基準だけで悪と認定した人間を攻撃する行為は、ただの問題行動に過ぎないわけです。
とはいえ、世の中には独自の正義感を他人に押し付けたり、ちょっとした間違いを悪と認定し、攻撃を仕掛けてくる厄介な正義の味方もいたりします。
正義感を持つこと自体は問題ありません。
しかし、自分が悪だと認定したものには制裁を加えても良いという価値観は、正直言って怖いです。
はっきり言って私は、こういう独善的かつ好戦的な正義の味方が苦手なんですけど、中には自らが掲げる正義に縛られ、もがき苦しんでいる人もいたりするものです。
「正しい・間違っている」といった2つの選択肢しか持たず、白いものと黒いものしかない世界観の中で、間違っていることや黒いものは絶対悪だと見なされる日常っていうのは決して穏やかではないですからね。
ということで、今回のテーマは独善的な正義の味方です。
もくじ
正義の味方なのにウザいと言われ、嫌われる理由は傲慢さや攻撃性にある?
できれば早い段階で間違いに気づき、正した方が本人のためにも良いという理屈はもちろんわかります。
間違いを指摘する側も善意に基づいての行動だと思うんですよ。
だけど、なぜか正しいことをしているのに嫌われてしまう人っていますよね?
そういう人の特徴をいくつか簡単にあげてみましょう↓
- 揚げ足を取るように小さな間違いや問題点をネチネチと指摘してくる
- 自分と異なる考えを頭ごなしに否定する(敵視)
- 自分は正しい(正義感に従って)行動していることを執拗にアピール
- やたらと好戦的
- ヒューマンエラーに寛大ではない
- 他人のちょっとした落ち度を拡大解釈して全人格を否定する
- 自分が正しければ何をしてもいいと思いこんでいる
↑なんだかどれをみても正義の味方のイメージからは大きくかけ離れているように感じますが、本人は自分の信じる正義に従って↑のような行動をとっていることも多いようです。(ただ気づいていないだけ)
ひとつ思い出しましたが、職場にいるお局様にもこんなタイプの人は結構います。
他人のちょっとした間違いを指摘するまでは別にいいんですけど、まるで鬼の首を取ったかのようにドヤる人間も中にはいますからね。
他人のちょっとした間違いを見つけたら、チャンスとばかりに攻撃を仕掛けて「フルボッコにしたったわ!」とか「ハイ!完全論破!涙目ワロタwww」とかいって、悪を成敗した気になってる人とかね(笑)
もはやこの状態までいくと、正義の味方とは言い難いかもしれませんが、自分が独自の基準で設定した悪者(敵)を打ち負かすことに快感を覚える人って実際にいますからね。
まるで自分が子供の頃に憧れたヒーローやヒロインになって、地球を守るために戦い、悪を成敗したかのような優越感が得られるのかな。
自分よりも弱い立場の他人を攻撃し、自己顕示欲を満たす正義の味方。
こういうのが苦手だという人は、私以外にも多いのではないでしょうか?
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絶対的な善悪と相対的な善悪
善悪といっても、すべての人たちの平和や生存に関わる絶対的な善悪と、置かれている立場や状況によって捉え方が変わる相対的な善悪があります。
一方的に正義感を振りかざし、他人を攻撃することでトラブルが起こるような場合においては、お互いの置かれている立場や状況によって善悪の解釈も異なるため、両者の間で対立が起こるのではないかと考えています。
たとえば、↓の「40代パートの人間関係は思った以上に複雑でドロドロ」という記事の中に出てくる私が実際にパートの現場で目の当たりにした光景も、その人が置かれている立場や状況によって「どちらが正しいか?」意見が分かれるのではないかと思います。(相対的な善悪)
↑の記事中に登場するお子様が熱を出してパートに来れない人のことを延々と責めたてる女性も、当日欠勤で他のパートさんに迷惑をかける行為は悪だという正義感を主張しているようなものです。
本人にとっては「どんな理由であれ、当日欠勤でみんなに迷惑をかけたんだから、そんな悪者は叩かれて当然だ!」という考え方なんですよね。
でも、同じような立場にある主婦のパートさんからすれば「当日の朝、突然子供が熱を出したんだから、みんなには申し訳ないけどそうするしかなかったよね。パートよりも子供が優先だから仕方ないんじゃない?」という考え方に同意すると思うんですよ。
ここで両者の話が「正しいのはどちらか?」みたいな展開になると、意見が対立して最悪なムードに突入するという・・・。
でに、どちらも自分の中では正しいと思って行動しているんですよね。
冷静に考えれば、人間だったら誰でも間違えることはありますし、この状況での正しいかどうかは相対的なものだとわかるはずのに、どういうわけか頭に血がのぼるとそれが絶対的な善悪に変換されてしまうのかな?
私、本当にこういうのが苦手なんですけどね。
とくに女性に多いです。こういうのって。女の人の感情論ってこんなものだったりします。
もっと最悪なのは、関係ない話まで引っ張り出してきて「そういえば、あの時だってこうだったじゃない!」みたいに話を広げるパターンですかね。
夫婦喧嘩なんかでもよくあるやつです(笑)
最初は自分の信じる正しさをわかってほしいというところから始まって、いつの間にか目的が相手を打ち負かすことになってしまうというね・・・
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正義の味方は苦しい完璧主義者?
「自分の信じる正しさ(正義)に従って生きている」と自信を持って言えるのは素晴らしいことです。
世の中がそれで少しでも良くなればいいと思って行動している人も実際にはいますからね。
でも、こういった正義の味方が独自の正義感に囚われてしまうと何に対しても「~すべき」「~でなければならない」という思考に陥ってしまう傾向が強いんじゃないかなと思うんですよ。
簡単にいってしまえば、完璧主義みたいなものですね。
正義は正しくなければいけない。
それは当たり前ですよね?
とはいえ、いつも正義感を振りかざし、「◯◯は、こうあるべきものだ!」みたいに他人の間違いを指摘するような人でも、時には過ちを犯すこともあるでしょう。
だって、にんげんだもの。
そんな時いつもだったら他人にメチャメチャ厳しいのに「あれ?やっちゃったよwwwヤバ!www・・・人間誰でも間違えることはあるよね!あはは。」で済ませていたら、一貫性がないですからね。(実際にそういう人もいますが・・・)
完璧主義で真面目な人ほど自分にも厳しくなるので、自分の正しさに一貫性が保てなくなることに苦しむというわけです。
正義感の強すぎる人は完璧主義なところもあるので、注意した方がいいんじゃないかな?
正義がアイデンティティになってしまうと危険な側面もあるということです。
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人は権限を与えられると行使したがる?
先ほど少しパート先の話が出ましたが、職場で起こるパワハラ・モラハラも加害者側としては本気で部下の教育だと考えている場合もあります。
「立派な人材を育てるための教育の一環として自分の部下には厳しくするべきだ!」という信念を持っている上司って実際にいますからね。
彼らにも彼らなりの正義があったりするわけですよ。
でも、それが行き過ぎてしまうと自分(善)に歯向かう者はすべて悪と見なされるので、ここで心理的な対立が起こるという・・・
職場でのいじめ(パワハラ・モラハラ)を相談するのはこの4つの機関!
会社という狭い箱の中で部下の教育という権限を与えられると、人間ってそれを行使したくなるものなのかもしれませんね?
わかりやすい例を出すと、昔行われたスタンフォード監獄実験というものがありました。
普通の学生を刑務所の看守役と受刑者役に分けて、看守役は受刑者役に対して罰を与えても良いという権限を与える実験です。
詳細については↓を参考にどうぞ!
結局、スタンフォード監獄実験は途中で中断されたわけなんですが、実験の結果わかったのは↓こういうこと。
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。
これは会社に置き換えるとわかりやすいと思います。
つまりはこういうことでもあるという↓
- 強い権力を与えられた人間=上司
- 力を持たない人間=部下
- 狭い空間=会社(の中のひとつの部署)
- 暴走=パワハラ・モラハラ
とくに長時間の拘束を強いられるような超絶ブラック企業なんかは、強い権力を与えられた者(上司)と力を持たないもの(部下)が狭い空間で長時間一緒にいる状況が多いですからね・・・
しかし、強い権力を与えられた人間も、もしかしたら自分の中での正義に従って行動しているだけなのかもしれません。
強い権力を与えられた人間の正しさが、力を持たない人間を追い詰めるという構図がなんとなく理解できたのではないでしょうか?
まさに正義という名の暴力ですね。
ちなみに先ほど触れたスタンフォード監獄実験は、映画化もされています。
ちょっと古いですが、esという映画です↓(現在は廃盤のようで中古しか出回ってないのかな?)
esのリメイク版で「エクスペリメント」という映画もあります↓
人間は、権限を与えられるとそれを行使しようとするわけですが、そこに(独善的な)強い正義感が加わるとさらに恐ろしいことにもなりかねないということです。
私が苦手とする正義の味方が、どこか威圧的で怖く思える理由もなんとなく理解できたのではないでしょうか?
しかし、そもそも人が人を裁く権限なんて与えられていないんですけどね。
それも理性の歯止めが効かなくなって、暴走してしまった結果なのかな・・・
善悪の前にまずは相手の気持ちを考える
最後に私がやたらと好戦的な正義の味方を苦手とする一番の理由を一つあげるとしたら、やはり相手の気持ちを無視して、白黒思考で黒いと決めつけたものを徹底的に打ち負かそうとするところですかね。
しかも、白黒(善悪)の判断が独自の解釈や思い込みだったりすると、相手と話したところでわかり合うこともなかなか難しいから厄介です。
もちろん、絶対的な悪は認められませんが(たとえば犯罪行為)、ちょっとしたミスとか、相手の状況を考えたらやむを得ない場合は、それを許せるくらいの寛容さの方が独善的な正義感よりもずっと大事だったりします。
また、正義感を振りかざす過剰で傲慢に見える正義の味方(これを正義の味方と言っていいのか?)も、実際に話をしてみると根はいい人が多いというのも事実なんですけどね。
しかし、普段はいい人でも何かの拍子に急にスイッチがオンになって暴走する人もいるので、これも面倒だったりします。
まずはお互いの気持ちが通じ合っていないと、いくら正義を主張したところで、わかり合うことは難しいのではないかなと思います。
仮に相手を打ち負かすこと成功しても、そこに残るのは恨みだけですしね。
そんな悲劇しか生まれないような正義なんて必要ですか?
ということで、あまりお近づきになりたくない私が苦手とする正義の味方の話でした。
実は、私がまだ学生だった頃に遭遇した正義感オバサンとの素敵な(?)エピーソードを思い出したんですけど、それはまた機会があれば別の記事で書こうとかなと思います↓(書きました)