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努力は報われない?大事なのは報われるかどうかではない!

努力は報われない?

「努力は必ず報われる」なんて言葉がありますが、一見、前向きに思えるこの言葉はどこまで本当なのでしょうか?

もちろん、自分の取り組みに対して「努力は必ず報われる」と強い信念をもって臨む姿勢は素晴らしいことだと思います。

しかし、実際に努力が報われることって少ないと思いませんか?

「必ず報われる」と信じて努力しても、期待を大きく裏切られてガッカリした経験をお持ちの方も多いでしょう。

なぜなら、努力は必ずしも報われないのだから・・・。

ということで、今回は「努力は必ず報われる」というテーマを深掘りしていきます。

努力はしているけど一向に報われない場合は、考えをあらためる必要があるかも知れません。

努力が必ずしも報われない理由とは?

なぜ努力は報われないのか?

「努力は必ず報われる」という言葉を信じてガムシャラにがんばっても、うまくいかないどころか返って努力が裏目に出てしまうこともあるでしょう。

報われると信じて全力全開で努力したのに、散々な結果に終わるというのも悔しいですよね?

一部のうまくいった人たちが結果論として唱える「努力は必ず報われる」という言葉には、ある意味、生存バイアスがかかっていたりしますからね。

一部の成功者の言い分というのは、権威性もあり、世間一般でも正しいとされる傾向が強いということです。

また、「必ず」という強い言葉は時には頼もしく、心を奮い立たせる効果がありますが、残念ながらこの世の中には「必ず=100%」と断言できないことのほうが多いものです。

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評価されるのは努力よりも成果?

「努力は必ず報われる」という言葉を額面通りに受け取ってしまうと少し危険だったりします。

何をもって報われるのかは人それぞれではありますが、世の中で評価されるのは、あくまで努力によって生み出された成果です。

厳しい言い方をすると、努力しても何の成果も生み出せなかったら評価されないということです。

つまり、「努力は必ず報われる」というより「努力によって生み出された成果は評価に値する」といった方が適切だったりするんですよね。

仮に「報われる=評価を受けること」だとしたら、努力そのものよりも成果が評価されると考えた方が良いかもしれません。

とはいえ、人が努力している姿というのは感動しますし、人の心をつかむことができるので、まったく評価されないわけではないんですけどね。

これはあくまで他者による「評価=報われる」という解釈が前提の場合に限った話であることをご理解ください。

ただし、残念なことに努力して成果をあげても必ず評価されるわけではありません。

とくに仕事においては、↓のようなことも多々ありますしね。

仕事ができても評価されない悔しい人 仕事ができても評価されない人は悔しい思いをするだけ?

話を戻すと、「努力は必ず報われる」という言葉は少し曖昧で「努力によって生み出された成果が認められることで、結果的に報われる」といったほうが的確かも知れませんよね?

努力が成果に結びつくとは限らない

努力していれば、それが必ず成果に結びつくとは限りません。

この世の中には、大して努力しなくても結果を出す人っていますからね。

ただ闇雲に努力すればいいってものではありません。

  • 何のために努力するのか?
  • どんなふうに努力するのか?
  • 努力したその先には何があるのか?

↑が欠落した状態で、とにかく努力するというのは単なる根性論です。

ガムシャラに努力しても、それがまったく成果に結びつかない場合は、単なる根性論になっていないかよく考えたほうがいいと思いますよ。

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努力は質×量×方向性が重要

正しい努力

努力が報われない原因として考えられるのは、

  • 方向性

に問題があるからではないでしょうか?

努力したけど報われなかった場合、この3つ(質×量×方向性)を見直す必要があります。

質×量×方向性というのは掛け算なので、数値化した時にどこかがゼロになってしまえば、当然、努力しても報われないという結果になるわけです。

たとえば、努力が単なる根性論になっている場合は、質(0)×量(100)×方向性(間違っている)という公式で考えることができますよね?

やはりここでも、

  • 何のために努力するのか?
  • どんなふうに努力するのか?
  • 努力したその先には何があるのか?

↑の3つの要素は最低限、考える必要があるということです。

あえて「どれくらい努力するのか?」を入れなかった理由は、努力の量なんて実際にやってみないとわからないからです。

必要な量というのは、その他の要素が軸となって決まる場合が多いですからね。

報われること前提で生きている限り期待を裏切られ続ける

努力してもうまくいかない現実

「努力は必ず報われる」という言葉を盲信して、報われること前提で生きていると、うまくいかなかった時のショックも大きく、つらくなるものです。

「必ず報われる」という言葉が期待値を上げてしまうんですよね。

また「報われる」というのを努力というリスクに対するリターンとして認識してしまうと、報われることありきの努力になってしまうという・・・。

  • 期待値はMAX
  • 報われること前提
  • 単なる根性論

↑の3つの条件が揃ってしまうと、努力しても期待を裏切られ続ける人生に陥ってしまうという危険があるので注意が必要です。

見返りを求めて努力するのは苦しい

人間というのは、時間や労力、またはお金など自分が費やしたものに対して、見返りを求める傾向が強かったりします。

たとえば、ブログなんかでも「100記事書いたんだから、もっとアクセスがあってもいいんじゃない?」みたいな・・・。

たまに「100記事書いたらどれだけアクセスが来ますか?」とか「一記事何文字以上書けばいいですか?」みたいな相談をいただくこともありますが、明確に提示できる唯一無二の答えなんてありません。

やったことに対して見返りばかり求めていると、思い通りにいかなかった時、その分ショックも大きいですからね。

努力したんだから報われて当然といった姿勢は、傲慢ともいえるでしょう。

見返りと目標は明らかに違いますからね。

努力に期待しすぎるのも危険

「これだけ努力したんだから・・・」という気持ちの裏側には、見返りを期待する心理がどこかに見え隠れするものです。

努力と成果は必ずしも比例するわけではありません。

ブログでいえば、記事数とアクセス数は必ずしも比例しませんし、どんなに質を高めても誰にも読まれなければ何も伝わりませんからね。

見返りを求めて努力していると、成果に対する期待値が変に上がってしまう場合もあるので注意が必要です。

先ほども書いた通り、見返りと目標の違いをきちんと認識しておいたほうが良いでしょう。

見返りを期待して努力するのではなく、目標から逆算して

  • 何のために努力するのか?
  • どんなふうに努力するのか?
  • 努力したその先には何があるのか?

↑を考えることが重要です。

努力できる人というのは、逆算思考だったりしますからね。

長い目で見ると努力は報われる?

長い目で見ると努力は報われる

冒頭でも少し触れましたが、「努力はしたんだけど報われなかった」という経験は誰にでもあると思います。

もちろん、私も報われないことのほうが多いのではないかといった感じです。

しかし、5年、10年が経過した今、当時のことを振り返ってみると、努力したけど報われなかったあの経験は確実に私の人生において活かされています。

あの時は報われることのなかった努力が、今を生きる自分の力になっていることに気がつくことも多いです。

私も基本的には怠け者体質だったりするので、本音をいえば努力なんてしたくないんですけどね。

努力したくないのが本音だけど? 努力なんかしたくない!本音とは裏腹にそれでも努力する理由とは?

それでも一応、努力できるのは「たとえその時は報われない努力であっても、いつかきっと役には立つ」ということを知っているからなんだと思います。

今、人生の折り返し地点に立ってあらためて思うのは、苦しかったり、悔しい思いをたくさんしてきて、ずいぶん遠回りしたけど、長い目で見ると報われなかった努力も決して無駄ではなかったということです。

現在、こうしてこの記事を書いているのも、過去に報われなかった数々の努力があってのことだと思っています。

そう考えると、報われなかった努力が何年もの月日を経て、当時の自分が望んだのとは違う形で報われることもあるんですよね。

もしかしたら、目先の成果よりもその後の人生レベルで考えると、努力は報われるのかも知れませんね?

だから、たとえうまくいかなくても無駄なことなんてないと思うんですよ。

自分が信じた道を歩き続けるだけです。

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