努力は素晴らしい!
おそらく、そう思っている人は、この世の中にも結構多いのではないかと思います。
努力して結果を出す人というのは、どこか尊敬できますしね。
しかし、実際に自分も努力してみようと思うと、なかなか行動できなかったり、うまくいかなかったりして、結局、中途半端に終わってしまうことも多いのではないでしょうか?
思った以上に努力って大変ですからね・・・
実際にやってみると努力って面倒くさいですし、毎日コツコツ継続するのもだんだん苦しくなっていくものです。
「たしかに努力は素晴らしいと思うけれど、本音を言うと努力なんかしたくない!」と思っている人も結構いるんじゃないですかね?
私もそんな感じですが、一応努力はします。(自分で言うのもアレですが・・・)
私の場合、別に叶えたい夢やスケールの大きい目標や強い向上心があるわけではないんですけどね。
つい先日も、このブログを読んでくださった読者さんから「アリサさんって努力家なんですね」といった内容の感想メールをいただいたのですが・・・
本音を言えば努力なんてしたくないんですよね~
しかし、そんな本音とは裏腹に私が努力する理由について考えてみると、ちょっとした気づきがありました。
もしかしたらこの先をお読みいただくことによって、うまく努力できず、いつも中途半端な状態で終わってしまう自分に思い悩んでいる人は何かヒントが得られるかも知れません。
もくじ
子供の頃から「努力しなさい!」と教育されてきたけど?
私たちが人並みに生きていくうえで、たしかに努力は重要だと思いますが、日本人というのは昔から根性論が大好きというか、必要以上に努力を美化してとらえる傾向が強いように思えます。
私たちは子供の頃から常に努力を強いられてきていますからね。
- 子供の頃は、テストで良い点数を取るための努力
- 部活では、大会に出場して優勝するための努力
- 受験では、志望校に合格するための努力
- 就職活動では、大企業から内定をもらうための努力
- 社会人になったら、良い評判を得るための努力
良くも悪くも私たちは、教育を通じて↑のような価値観を植え付けられているんですよね・・・。
もちろん、どんなことに対しても前向きに努力できる人というのは素晴らしいと思いますし、何かを成し遂げるためには努力も必要です。
しかし、人生には挫折もありますし、いつの間にか努力することに疲れてしまって、苦しい思いをしている人も実際には多いのではないでしょうか?
本音を言えないのは、同調行動による集団圧力もあるでしょう。
本当に大切なのは、刷り込まれた価値観や同調ではなく、自分の頭で考えて行動することです。
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私が努力するのはネガティブでマイナス思考だから
基本的に私はネガティブでマイナス思考です。
人と会うと結構喋るのでエネルギッシュだとか、元気だと思われることもありますが、それはただ単にテンションが上がっているだけで一人でいる時なんかは常に考え事をしていることが多かったりします。
自分でも物事をもっとポジティブに考えられるようになりたいとは思っているんですけど、マイナス思考を否定してまで無理やりポジティブシンキングに持っていこうとすると苦しくなってしまいます。
「マイナス思考は絶対ダメ!」と否定する考え方が改善を妨げる理由とは?
そんな私でも、一応コツコツと努力することはできていたりもするんですよ。
一般的というか、世間でいう常識的には努力ってポジティブな印象が強いですよね?
たとえば、叶えたい夢があって、そのために必要な努力は惜しまないだとか・・・
愛する家族の幸せのために苦しくても仕事をがんばるだとか・・・
思えば、かつて私にもそういう時期はありました。
夜の世界で成り上がるだとか、夜景がキレイな部屋に住みたいだとか、今思うと若さゆえのアレですが、当時は一応ポジティブな方向で努力できていたのかも知れません。
しかし、転落人生を歩み始めてからは心に余裕がない状態が続いて、いつしかそんな気力もなくなってしまいました。
自分に自信が持てなくなったのも↑の時期です。
そんな私が本音では「努力なんかしたくない!」と思いつつ、努力する理由はネガティブだからなんですよね。
「今ここで努力しないと本当に私、ダメになってしまう・・・」
「このまま何もしないで最悪な未来に向かっていくのが怖い・・・」
といったネガティブな感情が私を突き動かしているといってもいいでしょう。
そして、努力しないと自分に自信が持てないみたいな。、
つまりは強迫観念みたいなものなんですよね。
それが私にとって努力する理由だったりします。
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努力する人はポジティブだという思い込み
「努力」という言葉を目にすると、それだけでどこかポジティブなイメージを持ってしまいがちですが、ポジティブとネガティブは表裏一体です。
たとえば、歯を磨く理由について考えてみると、
- ポジティブな人
→ 健康な歯を維持したいから歯を磨く - ネガティブな人
→ 虫歯になるのが怖いから歯を磨く
といった感じで、行動の動機づけは違うけど、結果的に「歯を磨く」という行動はどちらも同じだったりします。
得られる結果も当然同じです。
当然、私が毎日歯を磨く理由は虫歯になるのが怖いからです。
健康な歯を維持したいという欲求よりも虫歯になりたくないという感情のほうが強いので、毎日継続して歯を磨いています。
また、私は週に何回かジムに通っているわけですが、健康を維持したいというよりも、病気になりたくないとか、代謝が悪くなるのが嫌だとか、そういう感情のほうが強かったりします。
つまりは、努力するのにポジティブである必要はないということです。
ちなみに冒頭で触れたブログの感想メールを送ってくださった読者さんが、私のことを努力家だと思った記事はこちらです↓↓
就職氷河期世代の恨みはないけど生き残るために必死だったのは事実!
重度のストレスからうつ病を発症、社会のレールから離脱したあと、非正規雇用を余儀なくされながらも副業から複業へとうまく移行して収入の柱を増やし、私がここまで自分の事業を育てることができたのも実はネガティブな理由だったりします。
過呼吸を起こして満員電車に乗ることができなくなってしまった当時の私が、思い描いていたことは出勤しなくても生きていける方法でしたからね。
「満員電車に揺られて毎日通勤したくない」というネガティブな理由でも、努力って継続できるんですよね。
あの満員電車の恐怖に比べたら、通勤しないくても生活していけるように努力したほうが全然楽だったりしますからね。
努力しないと自信が持てない
先ほど努力するのは強迫観念みたいなものだと書きました。
本当にその通りで、何もしないと自分がどんどんダメになっていってしまいそうで怖いんですよ。
まあ、そこまで大袈裟なものではないですけどね。
結果はどうであれ、自分なりに頭を捻って努力を重ねていれば、とりあえずアクションは起こせているので安心するというか・・・。
何もせずに、自分だけが置き去りにされたまま、取り残されていくあの感覚が私を駆り立てるといえばいいでしょうか。
たとえば、以前↓の記事を書きましたが、文中に出てくるこうした小さな努力(?)も「このままだと自分だけが取り残されていく・・・」というあの感覚によって突き動かされた結果だったりしますからね。
今ではこういった細かい努力が小さな自信にもつながっていたりするから不思議ですよね?
本当に小さな小さな自信なんですけどね。
努力よりも恐怖心や危機感を利用して行動につなげること
最後の最後に白状しますが、実は私、それほど努力している自覚はありません。
努力よりもむしろ行動が大事だと思っています。
自分の足りない頭で考えて行動することがすべてというか、他人様から見れば、結果的にそれが努力しているように見えるだけなんですよね。
努力を努力だと思わないのが本物だとか、習慣化すれば努力じゃなくなるだとか、そういった意識の高い人が好む話ではありません。
私としては「このまま何もしないでいるとどうなるのか?」を妄想して、勝手に「このままじゃヤバい!」という恐怖心や危機感に突き動かされているだけの話だったりします。
私の場合、「こんなふうになりたい」という気持ちよりも「このままじゃヤバい!」という感情のほうが行動に結びつきやすいというわけです。
何か行動を起こす最初の動機は、だいたいいつもそんな感じですからね。
そして、不思議なことに行動を起こしてからは自然と目標設定だったり、目的達成に至るまでの課題や計画なんかをひとつひとつ考えているものなんですよね。
一度、走り出してしまったら、あとは継続あるのみなんですけど、そもそも始まりが「このままじゃヤバい!」なので、とりあえず行動していればヤバい状況は避けられるというか、最初に想像してたよりも良い方向に物事が進むことが多いという・・・。
もし努力が続かなくて悩んでいるのであれば、ポジティブである必要はないですし、まずは最悪な未来を回避するにはどうしたらいいかを考えると良いかも知れません。
理想や大きな目標を達成するための努力には強い意思が必要ですが、恐怖心や危機感を回避したいというのは人間の本能なので行動にも直結しやすいということです。
恐怖心や危機感をうまく利用すれば、怠慢な自分を行動に導くことができるんですよね。
結果的にそれが努力にもつながるわけですが、やはりその前にとりあえず行動を起こすことが重要だと思いますよ。
なので、「本音を言えば努力なんかしたくないけれど、このままじゃヤバい!」という人は、まずは無理にポジティブになろうとするよりも「このままじゃヤバい!」という恐怖心や危機感を利用して行動につなげることを考えてみてはいかがでしょうか?
以上、努力なんてしたくないのが本音だけど、それでも私が努力する理由について考えてみました。
参考にしていただけたら嬉しく思います。
合わせてこちらの記事もどうぞ!
あとがき(補足)
この記事を公開してから1日ほど経ちますが、思うところもあり、補足も兼ねて追記します。
ということで、まず記事の趣旨がわかりやすいように要点をまとめておきますね。
- 「努力したくない」(面倒くさい、大変、疲れる)という本音は人間の本能
- 「努力は素晴らしい」は事実だけど、そこに思考がとらわれてしまうと、努力したくない人、いつも中途半端に終わる人にとっては努力できない自分に嫌気が差してしまう
- ポジティブとネガティブは表裏一体
- 世間一般でいう自己実現や目標設定がうまくできないのであれば、「~な状況に陥りたくない」というマイナス地点からの前進を目標にするのもあり
- 「努力なんかしたくないけれど、このままじゃヤバい!」=「面倒臭がりで怠慢だけど努力しないといけない危機感はある」
- 「努力」という単語にこだわらず、怠慢な自分をまず行動させることが大事
- 人間は感情で行動する。とくに恐怖心や危機感は行動の強い動機づけになる。それを意図的に利用する。
- 努力が必要だとわかっていてもなかなか行動できない場合でも、人間には危機回避能力があるから危機的状況を意図的に作り出せば行動できる
- 恐怖心や危機感、そして「このままじゃヤバい!」という強迫観念みたいなものは、人間の危機回避能力を理解していれば意図的に利用できる
- ネガティブな感情に支配されるのではなく、自分の感情を支配し、意図的に利用して怠慢な自分を行動に導くことも可能
- 一見、ネガティブな感情が行動の動機づけになっていると苦しいように思えるけれど、それはネガティブ思考にとらわれている場合であって、意図的に利用することができれば人間の危機回避能力との相乗効果で「努力」を意識しなくても「勝手に突き動かされる」のである意味楽だったりする
- 「このまま何もしない状況だと危険」というマイナス地点の回避が目標として設定されている場合、とりあえず行動を起こせば現状よりも一歩は進むので、プラス地点を目指すのはそれからでも遅くはない
- 他人から見れば努力しているように見えても、本人は行動しているだけだったりする(外側と内側の認識の違い)
最初から流れにそってひとつひとつ考えながら読んでいただければ、理解できると思うんですけど、読み飛ばしたり、拾い読みしたり、特定の単語に思考がロックオンされてしまうと・・・
- ネガティブな感情で努力するのって苦しいだけでは・・・?
- 好きなことだけやればいいのに・・・
みたいな感じで、文中に登場するキーワードに対する自分の印象だけで全体を解釈してしまいがちだったりしますからね。
- 恐怖心
- 危機感
- 強迫観念
- ネガティブ
- マイナス思考
↑のような単語そのものに先入観を抱いていたり、反応しやすい場合は、少し注意が必要かも知れませんね?
この記事を通して私がお伝えしたいことは、
- 努力したくない(怠慢)けれど、努力しないとヤバい(恐怖心や危機感)を合わせもつ人に向けて書かれている記事
- たとえ自己の怠慢であっても、努力が継続できず、いつも中途半端に終わってしまう人は自己嫌悪に陥りやすい(ネガティブな感情に支配されやすい)
- 私も怠慢だし、本音を言えば努力なんかしたくはない。しかし、他人様から見ると努力しているように見えるのはなぜか?
- 外から見ると努力しているように見えるかも知れないけど、大事なのは努力の前に行動だと思っている
- 怠慢な自分を行動させるには、ネガティブな感情(恐怖心や危機感)を意図的に利用することによって、「やらないとヤバい!」という強迫観念みたいなもの(「みたいなもの」であって厳密に言うと強迫観念ではない)が自然と行動を後押ししてくれる仕組みを作るのが効果的(あくまでも私の場合)
↑なんですよね・・・。
本音を言えば誰だって、好きなことだけやっていたいと思うんですよ。
でも、「努力したくないけれど、このまま何もしないとヤバいな・・・」と思うことって、基本的に好きなことではないですし、生きていると「好きなことではないけれど、やっておかないと将来的に心配」なこともあるんじゃないかな?
そういう状況に遭遇した時、努力する必要性に迫られる人も多いと思うのですが、いつも中途半端で終わる自分にとってはどうしていいかわからない・・・みたいな。
そんな時、努力している人を見ると、いつも中途半端な自分に嫌気が差したりするのもわかりますが、実はそれって裏を返せば努力しているように見えるだけで、本人の認識は違ったりする場合もあるんですよね。
外側から見ていると「この人はきちんと前向きに努力していてスゴイな~。それに比べて自分は・・・」とネガティブ思考に陥ってしまうこともあるかも知れません。
一方、本人にとっては決して前向きに努力しているわけではなく、ネガティブな感情を意図的に利用して行動しているだけだったりする・・・という話なんですよね。
記事中で「ポジティブとネガティブは表裏一体」という言葉を使いましたが、行動の動機づけはネガティブでも、結果的に前進していればそれはポジティブな方向に向かっているので、「ポジティブ VS ネガティブ」といった考え方をする必要もなく、どちらも自分の中にあるひとつの要素として受け入れ、それを意図的に利用できるかどうかだと思うんですよ。
「ネガティブな感情を意図的に利用する」というのは、支配されるのではなく支配することです。
もちろん状況にもよりますが、私の場合、行動する動機としてはフワフワした楽しい気持ちよりも「このままじゃヤバい!」といった恐怖心や危機感などのネガティブな感情のほうが強いというのを自分でもわかっているので、そういった感情を意図的に利用して怠慢な自分を行動に導く方法をとっているというだけの話なんですけどね。
恐怖心や危機感みたいなものを意図的に利用しているので、とくに苦しむこともなく、そこから湧いてくる強迫観念みたいなものが行動を後押ししてくれています。(「意図的に」というのが重要)
ポイントとしては、
- 自分が行動を起こす時のパターンを知ること
- 「努力」という言葉にとらわれないこと
- 自分の感情を支配し、意図的に利用すること
といった感じですね。
余談ですが、広告業界では恐怖心や危機感を煽るような訴求をすることが度々ありますが、実はあれも人間の危機回避能力に訴えかけて行動を促すといった裏の意図があったりするわけです。(保険とかのCMをよく見てみると面白いかも?)
「それを自分に対して行うとどうなるか?」という実験みたいなものだったりします。