30代後半から40代のアラフォー世代にもなると、人生がうまくいってない人たちは何かと自己責任だと責められる風潮が、この世の中にはあったりするもので、正直息苦しさを感じています。
でも、自分でもわかってるんですよ。
今自分が置かれている状況は、これまでに自分が取ってきた行動や決断によって作られているんだって。
今現在の自分が幸せだろうが、不幸だろうが、自分の人生を生きている以上、それは自分次第だってこと。
アラフォーになっても結婚できなかったり、お金がなかったり、人生つまらないのも全部自己責任。
たしかに正論だと思います。
だけど、息苦しい。
良い悪いじゃないくて息苦しい。
そう感じているアラフォー世代の女性って、結構いるんじゃないかな?
こんなことで精神的に消耗してる場合じゃないんですけどね。
決して責任から逃れるわけじゃなくて、もっと楽に自己責任論を受け入れて生きればいいんです!
自己責任論の押しつけにうんざりしている人たちに読んでいただきたいと思ってます。
自己責任だと批判されるのはなぜか?
アラフォー世代に限らず、今現在の人生がうまくいってないことを周囲から「それは自己責任だよ!自業自得!」と責められる理由って何なんでしょうね?
私は、結果論しか見ていない人たちが他人のうまくいっていない現状に対して自己責任論を振りかざすのではないかと考えているんですけどね。
もちろん自分の人生は自己責任なんですけど、ちょっとしたことで歯車が狂って、一気に人生が転落してしまう危険性は誰にだってあるものです。
不可抗力ってやつですよ。
想定なんて無理な話です。
私の場合は離婚がそんな感じだったんだけど、その後、ずっとおひとりさま人生で経済的に困窮してた時期もあったりしてね、当時は自分の人生が嫌で嫌でたまらなくなって、SNSでつながってる友達にボヤいたら「自己責任でしょ?」で片付けられちゃった 😥
今振り返ってみると、たしかに人を見る目もなければ、うまく立ち振る舞うことができなかった自分の責任だし、全部じゃないけど自業自得の部分もあったなって思えるようになりました。
その後もネットとか、友達とかを傍から見ていると、「自己責任論」や「自業自得論」に息苦しさを感じている人も結構いて、気づいたことがあります。
うまくいってない他人の人生に対して自己責任論を唱える人の多くは結果しか見てないんだなって。
結果だけを見て「でもそれはあなたの人生であって、他人の人生ではないんだから自己責任でしょ?」と切り出すパターン。
原因があって結果があるのにね…。
なぜそういう結果に行き着いたのか?
結果までの過程の中には必ず原因があるはずなんですね。
ここに注目してくれる人って、私が知る限りでは結構少ないです。
結果だけをパッと見て、「自己責任でしょ?」って人がほとんどなんじゃないかな?
気づいたら私は他人に相談するとき、結果論だけじゃなくてそこに行き着くまでの過程で起こった出来事に注目して話を聞いてくれる人を信用するようになっていました。
その人が現在に至るまでの過程にどんな出来事があったのかを知って、一緒に原因を考えるって結構エネルギーを使うんですよ。
一言でいうとめんどくさい!
たしかにそのとおりかもしれません。
自己責任の一言でそれ以上触れない人たちっていうのは、たぶん、めんどくさいだけなんじゃないかなって思ってしまう自分がいたりします。
めんどくさいことには関わりたくないから自己責任で軽く流す…みたいなパターンですね。
事なかれ主義の人にとって、自己責任という言葉は好都合だったりして?
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自己責任論が嫌い?
- 結婚できないのも自己責任
- 貧困女子も自己責任
- バツイチも自己責任
- 人生がうまくいっていないのも自己責任
たしかに全部そのとおりだと思います。
だって正論ですから!
正論だから言い返せないのは事実なんだけど、ウザい!
自己責任論が嫌いだ!
という人も多いんじゃないかと思います。
正しいとか間違っているとか、そういうことじゃなくてね。
そんなことはわかってるんだけど、とにかく嫌いみたいなwww
理屈では正しいことでも、感情はそれを拒絶するんですよ。
とくに女性は、そんな傾向が強い。
正しいかどうかなんて自分でもわかってるんだから、決してそれを求めているわけじゃないんです。
どうして感情が正論を拒絶するのかというと、これもやっぱり結果に対しての正論であって、そこに行き着くまでの過程にどんな出来事があって、何が原因でそうなったのかが省略されているからじゃないかと。
そこに行き着くまでの道のりを省略されて、事情も知らないのに結果だけを切り取って「自己責任」と結論付けられるのが嫌なんじゃないかと思うわけですよ。
たぶん、結果論に共感を覚える人たちってうまくいってる側なんだと思う。
負の共感は、結果ではなく過程に起きた出来事の中に生まれるんじゃないかな?
同じ共感でも、うまくいってる人たちが共有する感情と、うまくいってない人たちがによる負の共感は性質が違うんですよ。
ときにそれは水と油となって分離しあったりするから、相容れないという。
自己責任論が嫌いなのは、負の共感が生まれにくいからっていうのもあるんじゃないかな。
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日本人は自己責任が大好き?
昭和生まれの私は、小中学校で自己責任という言葉を聞いた記憶がほとんどなくて、むしろ連帯責任の教育を受けてきたような気がするんですよね。
クラスを4人くらいの班に分けて、班長を決めてなにか問題が起こると連帯責任みたいな。
イジメとかも個人ではなくてクラス全体の問題であり、学校の問題として扱われることがほとんどです。
社会人になってからも、部下の責任は上司も連帯責任を負うのが当たり前みたいな雰囲気でした。
自己責任って言葉がよく使われるようになったのって、わりと最近?
日本人は自己責任という言葉が好きみたいに言われる風潮があるみたいなんだけど、むしろ私は日本人が好きなのは連帯責任だと思うんですよ。
国の偉い人が自己責任って言葉をよく使うようになって、いつの間にか「日本人は自己責任が大好き」なんてイメージが植え付けられたんじゃないかな?
自己責任って言葉は、使い方によっては都合がよかったりしますから。
たとえば、仕事で誰かが重大なミスをして自分にも連帯責任が問われるのを回避したいときなんかは、「それは◯◯さんの責任です!こんな結果になったのもあなたの自業自得!自己責任じゃないんですか?」と言えば都合が良いですよね?
あと、ネット上で「◯◯で困ってます」という発言に対して「全部おまえが悪い!自己責任だろ?」と返して、日常のストレス発散なのか相手を凹まそうとする人にも都合のよい言葉だったりします。
日本人は自己責任が大好きと言われるのは、決して自分の人生における責任のすべてを自分自身が背負うという意味合いではなくて、自己保身の手段として都合のよい言葉だからなんじゃないかと思ってしまうこともあります。
自分の努力不足や甘えは自覚するべし!
自己責任という言葉について私が思うことは、これまで書いてきたとおりです。
だけど、自分の努力不足や甘えが招いた最悪の結果については目を逸らさずに受け止めるべきだと思っています。
もちろん自戒も兼ねてですけどね 😕
うまくいってない人生を他人に自己責任という一言で片付けられるのは、誰だって嫌なことだと思います。
でも嫌だからといって耳を塞いでいたら、いつまで経っても成長しません。
自己責任論は嫌いだけど、現状(結果)に至るまでの過程に自分の努力不足や甘えという原因があったなら、できることから少しずつでも努力する方向で考えた方が健全ですよね?
たとえば、人間関係や仕事なんかで今うまくいってないのであれば、「相手に依存しているだけで自分では何もしようとしなかった」という努力不足が原因かもしれません。
アラフォーで婚活がうまくいかない原因は、いつも相手に求めてばかりいてどこかに甘えがあるのかもしれません。
自己責任以前に大切なのは、自分と向き合うことです。
他人から一方的に浴びせられる自己責任という言葉と、自分の胸に手を当てて深く考える自己責任は違いますからね。
アラフォーバツイチ独女の私もすべて自己責任です 😥
亀の歩みで一歩一歩前進、少しずつだけど、うまくいってないと思っていた人生も好転している今だからこそ、書ける自己責任論についてでした。
実はこの記事、ネット上に散らばるアラフォークライシスの感想を見ていて、書こうと思ったんですよねー。