先日、努力は報われないという記事に対して22歳の女性から感想メールをいただきました。
記事を読んで、ずっと引っかかっていたことがスッキリしたとのことでした。
いただいたメールはかなりの長文だったのですが、内容を要約するとこんな感じです↓↓
- 子供の頃から親や学校の先生に「努力しろ!」とか「もっとがんばれ!」と言われてきた
- 努力しても成果が得られない時は怒られた
- 社会人になってからも「努力しろ!」と上司や先輩に言われている
- 努力しても成果が得られなければ責められる
- 言われた通りに努力しても一向に報われない
- 自分なりに工夫しながら努力しても裏目に出るのは、努力の質と方向性が間違っているからだと気づいた
- 親や上司は「もっと努力しろ!」というけれど、いつも努力の量ばかりで質の高め方や方向性を提示してくれることはなかったことに気づいた
- 「努力しろ!」と言っている本人もただがんばっているだけで、冷静に考えると無駄が多いように思える
- 努力を強要してくる人ほど実は何も考えていないのではないか?という疑問が湧き上がってきた
- 結局、そこまで深く考えて「努力しろ!」と言っている人なんて、自分の周りにはほとんどいないことに気づいた
偉そうに努力という言葉を口にする人も世の中には多いと思いますが、他者に対して努力を促す人というのは注意が必要かも知れませんね?
具体的な方法論や正しい方向性を提示できない人が、思考停止状態でただなんとなく「もっと努力しろ!」とか「とにかくがんばれ!」と努力を強要してくるケースも世の中には多々ありますからね。
努力という言葉自体がポジティブワードで、さらに「もっと努力しろ!」という発言が正論っぽく響くのも厄介ですよね?
もし周囲に「もっと努力しろ!」とか言ってくる人がいたら、この記事をお読みいただくことで相手に対する見方が大きく変わるかも知れません。
人を見る目を養ううえで参考にしていただけたらと思います。
深く考えずに努力を強要する人には注意!
結論からいえば、具体的な努力の方法や方向性を一切提示することなく、ただ闇雲に「努力しろ!」と発言する人ほど何も考えていません。
というか、こういうタイプの人って親や会社の上司であっても論理的思考が働いていないから、漠然とした言葉を発することしかできなかったりするんですよね・・・。
なので、結果的に根性論×感情論でしか努力を語ることができないわけです。
思考が働かない人に努力の方法や方向性について相談しても、適切なアドバイスは期待できません。
残念ですけど、こういうタイプの人はあまり物事を深く考えずに、他人に行動を促す人なんだなと認識するしかないわけです。
論理的思考が働かず、根性論×感情論でしか話ができない人が発する言葉を真に受けてしまうと、間違った努力をすることになるため、結果的にうまくいかない可能性が高くなります。
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うまくいかない時はもっと努力すれば何とかなるのか?
「もっと努力しろ!」とか「もっとがんばれ!」といった発言ですが、この場合の「もっと」というのは量を意味するものですよね?
「うまくいかない=努力の量が足りない」
という認識からこの発言に至ると思うのですが、うまくいかない原因が努力の量であるとは限りません。
また、相手の置かれている立場や状況によっては、「もっと」努力するのが困難な場合も当然出てくるでしょう。
そういった条件を一切考慮せずに、「もっと努力しろ!」と他者に努力を強要する人たちの多くは、
- 努力は報われると盲信している
- 自分ではなく他者の努力に対して見返りを求めている
- 根性論でゴリ押しするしか能がない
- 努力という単語に思考がとらわれている状態
- 方法論や方向性まで頭が働かないから単純に努力量を増やせば良いという思考
↑のような条件に該当すると考えられます。
量でゴリ押しするのが、もっとも単純ですし、相手に指示するのも簡単ですからね。
しかし、努力というのは量だけでなんとかならなかったりもするわけです。
もちろん、↑の方法で努力しても報われるとは限りませんが、量でゴリ押しするだけよりは全然マシではないでしょうか?
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量が必要な努力もあるけど決して根性論×感情論ではない
努力は量だけが重要ではないと書きましたが、質を高めるためには一定の量が必要な場合もあります。
量をこなすことでやがて質も向上するといった質量転換の法則なんですけどね。
- 場数を踏むことで環境に慣れるための努力
- 反復練習やルーチンワークで基盤を整えるための努力
- 生産量や出荷数など量を目的とした努力
- あらゆる経験を積むことで自分の中の事例を増やすための努力
↑のように量をこなすことを目的とする努力もあるということです。
なので、一概に努力は量でなくて質が何よりも大切だとは言い切れないんですよね。
以上を踏まえると「質を高めるために量をこなす必要がある」という考えが前提にあったうえで「もっと努力しろ!」というのは、何も間違ってはいないということです。
こういった場合においての「もっと努力しろ!」という発言は、決して根性論×感情論ではありませんよね?
きちんと考えて量をこなすことを目的とした努力を促す人は、結果がどうであれ相手を責めることなく見守ってくれるものです。
そういう人ほど努力の質を高めるためには、失敗も含めて一定の量をこなす必要があるというのをわかっていますからね。
他者に対して努力を促す人はきちんと見極めよう
もし自分の周囲に「もっと努力しろ!」とか「努力が足りない!」と発言する人がいたら、
- 論理的思考ができる人なのか?それとも根性論×感情論で発言しているだけなのか?
- 相手の立場や状況をきちんと考えて発言しているか?
- 相手の努力に対して見返りを求めていないか?
- 「努力しろ!」と言っている本人は、適切な努力ができているかどうか?
↑を意識して、よく観察してみると良いでしょう。
口ではもっともらしく偉そうなことを言うけれど、実は何も考えてない人も世の中にはたくさんいますからね。
親や学校の先生、上司であっても、そこまで深く物事を考えずに発言していたりするものです。
物事を深く考えずに努力を強要してくる人の発言なんて、それほど気にする必要はないと思いますよ。
相手の言葉に振り回され続けて疲れてしまったら本末転倒ですからね。
とはいえ、適当に生きることが許されないような窮屈な状況に身を置いていると苦しいですよね?
もしかしたら「努力なんかしたくない!」という気持ちを強化してしまう原因には、そういった背景があるのかも知れません。
努力なんかしたくない!本音とは裏腹にそれでも努力する理由とは?
結局は、誰に何を言われようと振り回されることなく、自分の頭で考えて自分にとって必要な努力をすればいいという話なんですけどね。
とくに若い頃は、人の発言に惑わされたり、振り回されたりすることも多いとは思いますが、長い目で見るとそういった経験も人を見極めるうえで役に立つので、よく観察しておくと良いでしょう。