日本人はマジメで勤勉なんて言われることが度々あります。
たしかに日本という国は、サービスや商品の質も良いですし、接客態度もきちんとしています。
しかし、そういった文化が窮屈に思える人もいたりするものです。
もっと適当でもいいんじゃない?
適当に生きたい!
と、思ったことがある人もわりと多いのではないでしょうか。
とはいえ、現代の日本社会には、どこかそれが許されない雰囲気があるのも事実です。
とくにマジメで勤勉に生きている人ほど、適当に生きている人に対して嫌悪感を抱く傾向にあるようにも思えます。
海外に行くと、現地の人はわりと適当に生きていて楽しそうなのに、どういうわけか日本ではそういうわけにはいきませんからね。
なんだか息が詰まりそうな話ではありますが、はたしてそんな日本社会で適当に生きることはできるのでしょうか?
結論を先に言ってしまえば、適当に生きることは可能ですし、それによって無駄なエネルギーを消費する必要もなく、少しは人生が楽しくなります。
もくじ
適当な人はいい加減だから信用できない?
適当に生きるというと、いい加減だとか、信用できないといったどこか悪い印象を抱く人も多いようです。
たしかに責任重大な仕事や深刻な対人関係においては、適当だと信用を失うこともあるでしょう。
だからといって、何でもかんでも常に全力全開のフルパワーで取り組むというのが正しいとは限りませんよね?
しかし、とくに日本社会では、適当な人よりもどんなに些細なことに対しても全力全開で取り組む人の方が好まれる傾向にあったりするように思えます。
そんな感じでどちらかというと、適当という言葉は悪い意味で使われることも多いわけなんですが、元々は「ちょうどよい」とか「ふさわしい」という意味だったりします。
つまり、いい加減というのは「ちょうどよい加減」ということです。
- 物事に対してちょうどよい加減で臨む人(適当な人)
- 物事に対して加減がわからず全力で臨む人(マジメな人)
↑の違いについて考えてみると、適当な人というのは物事に対してどれくらいのエネルギーを使うかを見極め、時間や労力をうまく分配することができます。
それに対して、いわゆるマジメな人は、何も考えることなく常に手を抜かず、全力で取り組むだけです。
人間のリソース(時間、労力、集中力、継続力など)には限界があります。
もし、ちょうどよい加減を知らない人に重要な仕事を任せてしまったら、たとえマジメに取り組んでくれたとしても途中で力尽きてしまう危険も考えられるというわけです。
適当な人は、本当に信用に値しないと言えるのでしょうか?
あまり良い意味で使われることのない「適当に生きる」という言葉ですが、ストレスも多く、慌ただしい現代社会においては結構重要だったりするかも知れません。
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適当に生きる方法と前提条件
適当に生きるとはいっても、前提条件があります。
適当というのは、決して無責任だとか、投げやりという意味ではありませんからね。
とくに細かいところまでキッチリしている日本社会においては、この前提条件が重要です。
ネット上で適当に生きるにはどうしたらいいか調べてみると、結構、前提条件が抜け落ちている情報も多かったりするので注意してください。
前提条件を満たしたら、あとはステップを追っていけば無駄なエネルギーを消費することなく、適当に生きることができるようになります。
適当に生きるには?
- 前提条件の確認
- 優先順位の明確化
- 優先順位の高いものに注力
- 優先順位の低いものは手を抜く
ざっくりとではありますが、↑のステップを意識してみると良いでしょう。
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適当に生きるための前提条件とは?
先ほども触れたとおり、適当に生きるには前提条件があります。
前提条件を満たしていないと、大きな問題が発生したり、信用を失う危険も出てくるので気をつけましょう。
物事には、適当でOKな場合とそうでない場合がありますからね。
まずは、目の前にある課題がどんなものかを見極めることが重要です。
- 重大な仕事や深刻な問題ではないか?
- 自分の言動が他者に対してどれだけ影響を及ぼすか?
- 自己責任か連帯責任か?
↑に該当するものに対しては、下手に手を抜かず、誠心誠意尽くした方が良いでしょう。
下手したら、信用を失う危険もありますからね。
逆にそれ以外の完全に自己責任で済むようなことでしたら、適当でも大丈夫だったりする場合も多いです。
何かあっても、誰かが巻き添えを食うわけではないですし、自分が責任を取れば済むわけですからね。
つまり、堅苦しい日本社会で適当に生きる前提条件は、こんな感じだと思って良いでしょう↓
- 他人を巻き込まない
- 自己責任で済む範囲
- 優先順位が低い
優先順位を明確にする
前提条件を満たすことができたら、次は優先順位です。
「やること」と「やらないこと」をきちんと選別しましょう。
また、「やること」の中でも何を最優先するべきかを明確にしてください。
ここで気をつけたいのは、「やること」を絞り切ることです。個人的には3つくらいが妥当だと思います。
ちなみに優先順位を明確にする際には、↓の本が参考になります。
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読書が苦手な場合は、マンガ版もあるので是非この機会に手にとってみてはいかがでしょうか?
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優先順位の高いものに注力する
最も優先順位が高いものに注力すると、どうしても優先順位の低い項目は後回しになってしまいますが、とりあえずはそれでもOKです。
とにかくやるべきことだけは手を抜かず、しっかりやりましょう!
とはいえ、完璧主義にならなくても大丈夫です。
優先順位の低いものに対してどのように手を抜くか?
前提条件を満たしていて優先順位の低い項目は、手を抜いても構いません。
しかし、「どのように手を抜くか?」も重要です。
- 誰かに任せる
- 着手するのを先延ばしにする
- 途中までやる
- やらない
その時の判断で、優先順位の低いものにはできるだけエネルギーを使わないようにすることがコツだったりします。
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マジメだから優秀とは限らない現実
適当に生きているけど、どういうわけか人生がうまくいっている人っていますよね?
その反面、マジメにやっているのに何もかもうまくいかない人もいたりするわけなんですが・・・。
先ほども触れたように日本社会では、マジメだったり、勤勉だったり、努力家だったりする人が評価されやすい風潮がどこかにありますが、だからといって人生がうまくいくとは限りません。
そういう人ほど生きているのが苦しくなる世の中です。
適当に生きていても、やるべきことさえしっかりやって結果を出していればOKだということです。
適当に生きている人ほど要領が良かったりしますからね。
- 物事に対してちょうどよい加減で臨む人(適当な人)
- 物事に対して加減がわからず全力で臨む人(マジメな人)
↑ここであらためて両者の違いについて考えてみてください。
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適当が許されない原因と窮屈な価値観
冒頭でも触れたとおり、現代の日本社会では適当であることがどこか許されない風潮ってありますよね?
本当は「もっと適当に楽しく生きたい」と心では思っているけど、周りを見渡すとそんなことできないという人も多いでしょう。
その背景にはこのような原因が見え隠れします。
- 減点方式での評価
- できて当たり前・やって当たり前という価値観
- 汗水垂らして働くのが美しいという教え
- 努力は報われるという教え
- なんでも全力を尽くすことが求められる風潮
- 失敗を過剰に恐れる心理
- 人目を気にし過ぎる性格
- 異質な者を排除する傾向
- 苦労人が偉いという価値観
↑のような価値観や教え、風潮などが「適当=いい加減で信用できない」といったネガティブな意味でのテキトーという言葉を生み出しているのかも知れません。
とくに日本人は、人生を楽しむことよりも根性論や苦労話が好きですからね。
そんな窮屈な日常生活の中で、適当に楽しく生きている人がいると「ふざけんな!」と憤る人がいてもたしかにおかしくはありません。
適当を許容できると人生が楽しくなる
実は今の私、わりと適当に生きています。
- 起きる時間も寝る時間も適当
- 仕事をする時間も休憩時間も適当
- 休日も適当に取る
- 仕事場も自宅、カフェ、ファミレス、図書館などを適当にローテーション
- ベッドで寝っ転がってスマホに話しかけている姿(音声入力での執筆作業)は傍から見たら適当に見える?
その代り、納期はきちんと守りますし、1日10時間以上仕事することも普通にありますけどね。
そして、私の周囲にも適当な大人は結構います。
こちらから仕事を頼んだら「ごめんなさい。今日は家族でディズニーシーに行くので無理です。」なんて断られたこともありましたが、私も普通に「気をつけて行ってきてくださいね!」と返信していました。
あと、適当な人と一緒に仕事をすると「そこは適当にお願いします。」なんて指示が出ることもあったりして、これはこれで困るんですけどね?
とはいえ、相手に対して「適当にお願いします」と言えるのは、信頼関係があってのことだと思うんですよ。
私もそんな相手に対しておおらかな気持ちで接することができます。
適当に生きることを受け入れることで、以前より仕事や日常生活が楽しくなりました。
会社員だった頃の私は、結構マジメに働いていたんですよ。
当時のことは、↓の関連記事にも書いてあるとおりです。
適当に生きることができなくて、毎日もがき苦しんだ結果、こんなことになってしまいました↓
「仕事に行きたくない」が続いたら危険?無理すると後でヤバイことに!
その後は数年間の療養期間を経て、現在では力を抜いて適当に生きています。
うつの症状もここ何年かは落ち着いています。
思えば、そもそも私は10~20歳そこそこまで適当に生きていたんですよね。
夜の世界から足を洗って一般企業に就職後、結婚・離婚を経て、気づいたらいつの間にか窮屈な日常に縛られていました。
今はちょうど原点回帰というか、昔の自分に戻った感覚で適当に生きています。
適当に生きることで、過去の私がどのように変わっていったかは、↓の記事を読んでいただければわかります。
↑の記事をお読みいただく際には、今回のテーマとの共通点を意識してみては?