誰だって生きていれば傷つくことはあります。
無傷で生きている人なんていないのですから。
私も過去にはいろいろと傷つくことが多かったわけですが、友人や知人によく言われたのが「傷つくほど人は優しくなれる」とか「強くなる」みたいな有線放送で流れてくる応援ソングの歌詞から抜粋したような言葉。
たしかにその通りだとは思います。
しかし、世の中には傷つくほどふてぶてしくなり、さらに弱いものを叩く人も決して少なくはありません。
その傾向は、年をとるごとに顕著だったりします。
とくにアラフォー世代は、優しい人とふてぶてしい人の落差が激しいようにも思えますね。
「傷つくほど人は優しくなれる!強くなる」という言葉はたしかに良い言葉ですが、思考停止状態で使われていることも多いので注意しましょう。
傷ついても優しくなれない人は他人を攻撃する
凶悪犯罪が起こると、たまにテレビ番組などで犯人の生い立ちが特集されることってありますよね?
犯人を知る人がインタビューで「信じられない!優しい人だったのに!とてもそんなことをするようには思えない。」と応えているのを見たことがある人も多いでしょう。
で、生い立ちを追っていくとどこかで挫折していたり、深く傷ついた経験があったりするわけです。
ちょっと極端な例をあげましたが、世の中には自分が傷ついても優しくなれないどころか、他人を攻撃する人もいますからね。
あと、このブログでも過去に「職場のいじめ対策!対処法は戦うか逃げるか?」という記事の中で、実際に私が遭遇した事例↓を紹介しました。
↑のエピソードに登場する当時私が勤めていた会社の同僚だった彼も、理不尽な上司の言動に深く傷ついていました。
結果的には怒りが爆発してしまったわけですけど、その後の動向を追ってみると、彼もまた傷ついても優しくなれない残念な人だったことがわかり、私はコンタクトを取るのを断念しました。
こういった傷ついても人に優しくなれない残念な人たちには、いくつか共通点があったりします↓
- 「傷つけられた」という被害者意識が過剰
- 人の気持ちよりも自分の感情を優先する
- 衝動的で脊髄反射しやすい
- ストレス発散が苦手
- 根に持つタイプ
こういう人たちが集団化すると本当に厄介です。
たとえば、↓の記事なんかもその一例だったりします。
あくまでも自分が傷ついた時、心の痛みを知ったからこそ、他人の悲しみにも寄り添うことができて結果的に優しくなれるわけですよ。
自分が傷ついても「傷つけられた」という被害者意識だけが過剰で、いつまでもそれを根に持つ人は、周囲に傷ついた人がいても「私はアンタなんかより、もっとつらい思いをしてきたんだからね!甘いわ!」なんて切り捨てる傾向が強いように思えます。
これがまだ若い頃でしたら、これから人生経験を積むことで軌道修正は可能ですが、アラフォーにもなるとなかなか難しそうですね。
とくにアラフォー女性が多く集まる場所では、この傾向が顕著に表れやすかったりします。
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どんなに傷ついても人は弱い生き物
「人は弱い生き物」だということを自覚していないと、弱っている人間に対してつい上から目線になってしまいがちなので気をつけましょう。
深く傷ついた人に向けて、励ましのつもりで「オレでも乗り越えられたんだから大丈夫!オマエにも必ずできる!」みたいなセリフをドヤ顔で吐く人がたまにいたりしますが、それって傷ついて強くなったんじゃなくて、単に経験値の差だったりしますからね。
経験者と未経験者の違いみたいな?
もう少しわかりやすいようにひとつ例をあげましょう。
たとえば、毎回、同じパターンで振られる人がいたとします。(これもこれで学習能力に問題が・・・)
はじめての失恋の時は、ひどく傷ついたことでしょう。深く落ち込んだと思いますよ。
でも、同じパターンでの失恋を何度か繰り返しているうちに慣れてくるというか、辛いのは変わらないんでしょうけど、立ち直るのも早くなるわけです。
そのうち、自虐ネタにして笑いと取ったりする人もいますからね。
これっていうのは、実は何度も同じパターンを経験しているので、うまく対処できるようになっただけなんですよね。
まったく経験したことのないアクシデントに見舞われて深く傷ついた時は、そうはいきません。
どうしていいかわからなくなる人も多いのではないでしょうか?
人間の心なんて自分が思っているより脆いもので、対処しきれないほどの過酷な状況に陥った時、はじめて「人は弱い生き物」だと思い知らせるわけですよ。
私自身が身をもって「人は弱い生き物」だということを自覚するようになった経緯は、↓の記事でも触れているので参考にどうぞ!
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傷つくことに慣れることはない
人が傷つくのは、主に人間関係のトラブルだったりする場合がほとんどではないでしょうか?
ちょっとした行き違いや誤解だったり、時には裏切り行為なんかもあるでしょう。
あと、失恋とかもね。
こういったパターンに慣れることはあっても、やはり傷つくのは怖いですよね?
誰でも傷ついたら痛みを覚えるものです。
恋人と喧嘩することには慣れても、深く傷つけば心は痛い。
職場の上司の暴言には慣れても、傷つけば落ち込む。
悲しいニュースが報道される日々には慣れても、人間の悪意には心が痛む。
そんなものです。
もし傷つくことに慣れて心の痛みをまったく感じなくなったら、それはまた問題であり、危険な状態かもしれません。
自分が心の痛みをまったく感じなくなってしまえば、他人の痛みを想像することも困難になってしまいますからね。
私も過去にいろいろと傷ついてはきましたが、決して自分が強くなったなんて思ったことはありません。
自分を傷つけるような出来事にも、それなりに対処できるようにはなりましたが、いくつになっても傷つくのは怖いし、つらいですからね。
「強くなれる!優しくなれる!」と言い聞かせる対象はあくまで自分
個人的には「傷つくほど人は優しくなれる」とか「強くなる」という言葉は、他人に対してではなく、傷ついた自分にそう言い聞かせるために使った方が効果的だと思っています。
同じ言葉でも他人に言われるのと、自分に言い聞かせるのでは全然効果も違いますからね。
そして、何よりも大事なことは、深く傷ついてもそれを乗り越えるのは自分自身だということです。
「傷つくほど人は優しくなれる・強くなれる」という言葉は、他人に使うより自分に使った方が自己暗示にもよって、気持ちが前向きになれるのではないでしょうか?
結論
最後に結論なんですが、ここまできちんと読み飛ばさずに精読して頂いたのであれば、すでに気づいているかもしれません。
- 我が子を思う母の優しさ
- 愛する人を守るパートナーの強さ
- 苦しんでいる人たちを支援し続ける人たち
- 怪我をして動けない動物を保護する人たち
↑これって、傷ついたからじゃないですよね?
人は誰かのために優しくなれる、そして強くなれるものです。
また、誰かのために生きられる人が、「傷つくほどに優しくなれる・強くなれる人」なんじゃないかなと。
自己中心的で被害者意識ばかり過剰な人が、どんなに傷ついても優しくなれない理由はここにあると思うんですよね。
そして、歳を重ねるごとにその差は歴然とするものです。
結論は、常日頃から周囲の人たちに対して、どのように接しているかが重要だということです。
耳障りの良い言葉って思考停止状態で鵜呑みにしてしまうと、一見心地良かったりもしますが、本質は決して生やさしいものではなく、よく考えてみるとそこには自分の弱さが浮き彫りになるほど厳しい意味が込められていたりするものなんですよね?